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2011/03/26

着付け教室(スペシャリスト科 第32回)

3週間ぶりに、いつもどおりの着付けのレッスン。

前回の続きで、男性の羽織袴の練習2回目。

男袴は、女袴とごちゃまぜになってしまうのと、男性の着付けは、女性の着物に比べると難しくないことから、あまり練習しないこともあり、なんとなく着付けになってまう。
衿を合わせるときは、腰の位置で衿をひいて決めると、変な緩みもでず、出来上がりもきれいになる。

ここのところ自分で着物を着ていないので、自分に着る練習もする。
時間はそれほどかからず着られるようになったけれど、やっぱり間が開くと、びしっとは決まらず、帯の出来上がりがイマイチ。時間無くて、そのままにしちゃったけれど、もし外出するなら、もう一度やりなおしてるだろうなというレベル…。

なんでもそうだけど、一定のレベルでキープするのってなかなか大変。

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2011/03/24

大学卒業式の着付け

数日経ってしまったけれど、記録。

先週の土曜日、3月19日に、某大学の卒業式の袴着付けをお手伝いした。

正直なところ、あまり外出するような気持ちになれず、迷ったけれど、家にいても暗くなるばかり。
もともと人手が足りなくて、手伝いの話があったので、そもそもドタキャンなんてだめでしょうと、とにかく出かけた。

卒業式の着付けは初めての経験。
早朝から集合し、卒業式に間に合うように着付けをする。その日、着付けの予約をされている学生さんは200人ほどで、約4時間で全員を着付けるとのことだった。

着付けスペースでは、20人ほどの着付けスタッフが待機していて、2,3人のスタッフが組になって、次々と着付けしていく。私はアシスタントとして、ご案内したり、衣裳を運んだりが主な仕事。

人も減ってきて、少し余裕が出てきた終わりごろに、クラスメイトと一緒に着付けをさせてもらった。
先生方の手助けもありつつ、着付け完了。最後に、着付けのチェックもしてもらい、それほどのお直しもなくOK。やっぱり、ちょっと時間かかっちゃったけど、よかった。

ほんとに最終の、最後に着付けた学生さんは、とってもキュートで、着付けてる間、何度も、「やばい、やばいー。」を連発しながら、すっごく嬉しそう。最後に、笑顔でお礼を言ってくれた。
かなり疲れてたけど、ほんとよかったなぁって思える笑顔を見せてもらった。

そして、この日は、私の友達も、関西で卒業式と聞いていた。だから友達の門出をお祝いする気持ちで、その日、一日がんばった。
(この話を聞いてなかったら、今回、ドタキャンせずにちゃんと行けてたかは、実はかなり怪しい…。)
おくればせながら、卒業、おめでとう!

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2011/03/23

友との会食@名古屋

友達が、東京から名古屋に一泊二日の出張に来た。
せっかくなので、名古屋で食事でもと、ひさしぶりの会食。

定時後、ケータイが鳴った。どこに居るの?と聞くと、一つ下の階で打合せと言う。客先訪問だと聞いていたので、まさか同じ事業所に居たなんてと驚きつつ、とりあえず、終わったら連絡をもらうことにした。

打合せが終わったとのことで、とりあえず、顔合わせてどこいくか決めようと、ビル内で待ち合わせた。「お、ひさしぶりー!」とひとこと交わした後、思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
「まさか、またしても、こんな場所で、仕事で会うなんてね。」
以前、東京の本社ビルで会ったときも、同じような会話をしたけれど、15年来の東京時代のサーフィン友。名古屋で、オフィスで、顔を会わせることなんて、さらに想像もしなかったこと。

会社近くのお店に移動し、久しぶりの乾杯をして、いろいろ語りだす。
久しぶりに、仕事帰りにほっとした。もちろん、気の置けない仲というのもあるけれど、なによりも今、私がありがたいと思えたのは。地震の起きたあのとき、東京に居て、何を見て、どう感じたか、それを同じく体験した者として、共有できたこと。

一週間とか10日とか振り返ることもあったけれど、名古屋に戻ってきて、正直、ちょっとしんどかった。しかも、私なんて被災したわけでもなく、名古屋に居て不自由もないじゃないかと思うと、ますますそんなことを言ってる場合じゃないんだと思えて。

とはいえ。地震のときのことをひとしきり話したあとは、意外に普通の会話を楽しんだ。
年に数回も会わないのに、この時期に、何の気遣いも要らない、この友に会えたことに本当に感謝。

そろそろ解散。
「明日は、私、朝一で東京だよ。」
「そーだな(笑) 俺も客先行った後、すぐに東京に帰るし。」
「2人とも、今は名古屋で、明日はもう東京か。なんだろうね、この生活(笑)」
先週末に出張のことを聞いたとき、私はまだしばらく名古屋に居るんだろうなと思っていたので、せっかくだから食事しようよ。と話していた。ところが、昨日の日中に、急に今日から東京へ出張することが決まったのだ。

数時間だけだったけれど、今の私にとっては、本当に貴重な時間で、かなり元気を取り戻せた気がした。
今は、自粛ムードもあるようだけれど、こんなときだからこそ、友達と話す、遊ぶことって、大切なことかもしれない。それが前に進む力になるんじゃないかと思った日だった。


入ったお店で、「お客様に好きな言葉などを書いてもらってお店に飾ります」と、木片とペンを渡された。私は、放置しようと思っていたら、友達が書こうよというので書いた。(今は不謹慎かと思われるかも知れないけど。)
No Wave, No Life.
どうしたって波のある人生。この波を乗りこなしていけるだろうか。

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2011/03/16

迷い

昨日も書いたとおり、今日から、プロジェクトのメンバーは在宅勤務することになった。
私の場合、出張者なので、名古屋に戻り、オフィスで仕事をすることにしたほうがよいということで、昨晩、名古屋に戻った。

被災の様子が、日々伝えられる中、そんな中、自分だけが、楽な生活ができる名古屋に帰ってきたことは、後ろめたいような、申し訳ないような気持ち…。

身近な話では、お客様の営業所での被害が、非常に甚大で、全力をあげて復旧を目指している。
何かできることがあればと思っても、実際には、私が直接お役にたてることなど、何もない。ただ応援するしかない。祈るしかない。本当に無力だと感じる…。

東京は、確かに多少の混乱はあるものの、ライフラインが止まってしまったわけでもない。いろんな不便や混乱があるにしろ、十分に生活できる。単に、今や便利さに慣れてしまったから不便に感じるだけだ。
だけど、私が東京に居ても何もできない…。むしろ、居続けることで、結局いろんな経費が掛かってしまう。一人分でも、いろんなものが要らなくなるなら、東京にいないほうがいいとも思う。

どちらを選んでも、正解とは思えない…。
だけど。悲しんだり、不安がってばかりいても仕方なく、とにかく、落ち着いて、やるべき事、そして自分ができることをしよう。

それにしても。
今の現状をみると、あまりにも多くの情報が、錯綜していて、それらの情報によって、人々が不安から、パニック行動を起こしているように感じる。
そして、それが、生活をさらに不便にしているような…。

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2011/03/15

明日は名古屋で在宅勤務

諸事情により。

本日、仕事終えたあと、名古屋に戻ってきた。
明日は、名古屋の事業所でお仕事をすることになった。

家じゃないけど、在宅勤務みたいなもの。ありがたいことに、いつでも、どこでも、仕事ができる環境が提供されているので(対面の方がいいに違いないけれど)、仕事は変わらずできる。
通勤の不便や、食事、買い物など生活の不便が出てきたこともあり、
名古屋の事業所で、東京でのプロジェクトの仕事をすることになった。
他のメンバーも、明日は、それぞれの家で在宅勤務だ。

今日も、正直なところ、新幹線を降りて名古屋駅に降り立ったときの雰囲気、東京での街の様子と比べると、なんともいえないギャップに戸惑いを感じる。
なんだか、名古屋がすごーく久しぶりな気がしてしまう。不思議だ。

とにかく、できることは、どんどん前に進めていくのが復興のためにも一番。
明日もがんばらなきゃ。

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2011/03/13

東日本大地震@東京 -今-

やはり、災害は経験してみないと実感として感じないことも多いと思う。
今回、私はすごくラッキーだったと思うけど、今までの地震では経験しなかったことも経験したし、いろんなことを見たし、考えた。
建物や、人的被害が少なかった東京でさえ、何万人もの人が帰宅困難になり、食料が入手できない状況が起こった。
そんななかで、名古屋に帰ってくるまで、そもそも自分のことでせいいっぱいな感じだった。

それにしても、ネットが繋がっていたことで、今回は本当にいろいろ助けられた。
ネットでの情報収集ができ、ネット予約システムが正常に動いていたおかげで、非常にスムーズに行動できた。
Twitterや、メールでは、とても勇気付けられた。
社内チャットでの情報交換も、安心することができたし、行動を決めるのに役立った。
docomoのiモードが使えなかったのは、ちょっとがっかりだったけど、スマートフォンがその分活躍した。

両親に連絡するのだけは、少し困った。メールを使わないので、電話しかないのだが、緊急性はないしどうしようかと。結局、電話を使ってしまったけれど、今後はどう連絡すべきか、何らかの方法を決めておいた方がよいと思った。

それから、よく言われることがだ、被災時の水と食糧の確保は本当に重要だ。日ごろから、多少お菓子でも持っていたほうがいいかもなぁと感じた。私は、ほとんど間食をしないので、ほんっとに何ももっていなかったので、コンビニに何もなくなったと聞いたときは、正直ちょっと焦った。水も、可能なときはいつでも手元にある状態の方がいいかもしれないと思った。

ニュースでは、まだまだいろんなことが起こり、次々と被災の状況が明らかになっている。
お客さまの状況も非常に心配…。

正直なところ、土日をはさんで、いろんなニュースを見つくしたのは、あまり良いことではなかったかもししれない。私は、本当に運がよくて、スムースに名古屋に帰ってこられた。

けれども、ニュースを見ていると、まだまだ大変な思いをしている人がたくさん居て、そればかりでなく被災の悲惨な状況が刻々と流れている。私ばかりがラッキーだったと思うと、いろんな想いが渦巻くばかりで、前向きになれない。

何ができるのか、どう行動すべきかとか、考えるのも大切だけど。
とにかく、まずは、明日からも、仕事をいつもどおり、しっかりしようと思う。

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東日本大地震@東京 -名古屋へ-

3/12(土)。大地震の翌朝。
6時台に目は覚めるものの、体はだるい。
とにかく、まず電車の運行状況を調べた。地下鉄は遅れはあるが運行中、東海道新幹線は時刻どおり(!)とある。

こんな状況でも、新聞の朝刊がちゃんと届いていたことに感心する。ゆっくり目を通すことはしなかったが、一面で地震災害を伝えている。

出発の準備をして、部屋を出る。
昨晩は、避難所のように人でいっぱいだったロビーは、すっかりいつもどおりの静かな場所に戻っていた。
チェックアウトして外にでると、道は車もまばらで、妙に静か。地下鉄で東京駅に向かう。
時刻表どおりではないだろうけれど、それほど待つこともなく、意外にスムーズに移動できた。

東京駅に着いて、丸ノ内側の改札をでると、驚きの光景だった。
地下道の新丸ビルの前の広場に、ブルーシートが敷かれ、人々が毛布を被り、座っている人、寝ている人、人、人。食べ物も配給されたようで、何人かが同じものを食べているようだった。

新丸ビルは、地震の後の点検のため、営業を中止すると張り紙をしていた。
みどりの窓口は、払い戻しなのか、切符の購入なのか分からないが、百人単位の大行列ができていた。
コンビニで買い物をしようとおもったけど、こちらも大行列で、入場規制をしていたので諦める。
名古屋に着いてから、ちゃんとしたものを食べようかなと思う。

JRの改札を入ろうとすると、なぜか改札機の電源が落とされていて、自由に出入りができるようになっている。これではICカードを認識しないので、新幹線乗るのに面倒なことになりそうだと思い、八重洲口側の東海道新幹線改札へ回ることにした。

八重洲側への通路を歩いていくと、ここも避難所状態で、レストラン店舗から提供されたと思われる椅子に、多くの人々がつかれきった様子で両方の壁際に座っている。
この中には、単に交通機関がとまって帰れなかった人もいるだろうし、もしかしたら東北方向へ帰ろうとしていた人もいるんだろうか…。

安全な名古屋に帰ることができるほっとした気持ちで、そんな疲れきった様子の人々の間を横切るのは、さすがにいたたまれず、改札に向かって足早に歩いた。

東京駅の大丸デパートを見ると、食品を扱う地下と1Fのみ営業すると張り紙があった。

八重洲口の新幹線改札は通常通りだった。ICカードで入場する。
改札の中のお弁当売り場を念のため覗くと、そこには、豊富なお弁当、サンドイッチがあった。
さすがに、おにぎりはなかったものの、お弁当もサンドイッチも数種類、数も豊富に置いてあり、外のコンビニの状況とは全く違う。時間が朝のうちだったからだろうか?
新幹線の改札の中だから、需要と供給のバランスで、外よりも在庫が潤沢なのかもしれない。
昨晩は、まともな食事をしていないので、空腹感があったので、サンドイッチとドリンクを購入した。

東海道新幹線は本当に時刻通りに運行していた。
新幹線に乗り込む。ネットで座席予約したとき、座席はほぼ満席だったが、実際には、人がまばら。品川をすぎ、新横浜でも座席が埋まらなかったので、被災したり、移動手段がなくて、乗れなかった人がいるんだろうなと思い、また切ない。

名古屋には時刻どおり到着した。
新幹線の改札をでると、そこは普通の穏やかな週末。駅前のデパートもオープンしていて、みんなの表情も明るい。
当たり前といえば、そうなんだけど、たった2時間前に見た、東京駅での様子と比べると、そのギャップに、変な感じがしたし、昨日の地震から朝までのことを思い出しても、そんなにすぐに気持ちを切り替えられなかった。
とにかく、早く帰ろうと、地下鉄に乗って、家に向かった。

家にたどり着いた後は、やっとほっとしたせいか、ひさしぶりに倒れこむようにして仮眠をとった。

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東日本大地震@東京 -地震の夜-

ホテルの前には、なんとか移動しようという人のタクシー待ちの大行列ができていた。
チェックインをしようとロビーに入って驚いた。避難所としても開放したのだろう、椅子がたくさん置かれ、何十人という人がロビーに座っている。毛布も貸し出されたのだろう、皆白い毛布をひざに掛けている。
大きなモニターのTVが設置され、地震被害の状況を伝えている。
なんだか、自分だけが部屋を確保できているのが申し訳ない気がした。

チェックインをしようとするも、レセプションも混乱している状態で、待たされる。
やっと私の番になったが、ホテルの部屋には地震の被害があり、破損した部屋などもあるとのことで、被害状況を確認しながら、順に案内しているので、しばらく2階でお待ち下さいといわれる。

スタッフの人たちは、かなり混乱した様子だった。
私は、何も怒っていないのに、待っている間、荷物を預かってほしいといっただけで、何故か平謝り。2Fのどこで待てばいいかと質問するだけで、お待ち下さいと言って何分も待たされたりと、普段と違って、情報伝達が上手くいっていないようで、要領を得ない。

スタッフをつかまえて、かなり文句を言っていた人もいて、このような状況でイライラするのも分かるが、なんだかなーとか思う。

ホテルに来れば、食事ができると思っていたが、レストランも被害があったのか、全面閉店だった。しかたないので、待ち時間のうちに、最寄のコンビニに向かう。お弁当、パンは全く残っていないが、一応、カップ麺、カップスープ類、お菓子、デザート類が残っていた。この日は寒かったせいか、暖かいドリンクは全て売り切れだった。
まだカップ麺が残っていただけ、中心部オフィス街のビル近くのコンビニよりはマシだ。
それに、水道、電気が使える状態だったのは、幸いだ。
とりあえず、あるもので食べ物を調達して、ホテルへ戻る。

しばらくして、部屋が準備できたとのことで、鍵を渡された。部屋のドアには、部屋が使える/使えないの印だろうか、各部屋にシールが貼ってあった。

部屋に入り、さっそくTVをつけると、被害の惨状が流れている。信じられない光景だ。
つくづく、私はラッキーだった、この状況はましだ、と何度も思う。
私鉄、地下鉄が一部、運転再開を始めたとのニュースも流れる。
よかった。これで帰宅難民が、多少なりとも減るだろう。

ミシミシと音がするほどの余震が、まだ続いている。
この状況でシャワーを使うか、かなり迷うも、1時間以上歩いたこともあって、なるべく速やかに入浴する。


夜になり、同僚から、また社内チャットのメッセージが入る。
東海道新幹線が運行再開するのを待って、名古屋に帰るつもりだと言っていた同僚から、新幹線が運行できる見込みになったとのことで、車両に乗り込んだとのことだ。まだ出発する雰囲気はなく、乗客もまばらだけど、その日に、数本の新幹線が運行されるとアナウンスがあったという。
もう23時近くだったので、その後すぐに発車しても、名古屋に到着するのは深夜だが、無事に帰ることができてよかったと思う。
朝まで、このまま何事もなければ、私自身も、翌日は名古屋に戻れそうだと、少しほっとする。

このころにも、安否確認でdocomo携帯にメールをもらったりするが、受信はするものの、iメールの送信ができない。
いくつか、安否確認の連絡をいただいていたこともあり、ブログに無事を知らせる記事を掲載した。
Twitterには状況をつぶやいていたけれど、予想外にたくさんの連絡をもらって、すぐに返信はできなかったものの、非常に勇気付けられた。本当にありがたい。

寝床は確保したものの、なかなか眠れる気にもならない。
東京はかなり混乱した状況だし、明日は朝のうちに名古屋に戻った方がよいと考えて、ベッドに入った。
夜もゆれが何度もあり、本当に仮眠といった程度しか眠れなかったけれど…。

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東日本大地震@東京 -帰宅-

集団で帰った方がいいだろうということで、同僚とともに帰宅(私はホテルへ)することにした。
19:30ごろに、同じ方向に帰る同僚2人と、お客様のビルから外へ出て歩き出す。

この日は、3月にしては気温が低く、想像以上に寒い。一応、コートとマフラーをもっていたからよかったけれど、しばらく歩くと、手が冷たくなるぐらいの寒さ。
真冬でなくてよかったと、つくづく思う。

すぐに大きな幹線道路に出る。車道は大渋滞だ。歩道は本当に大勢の人々。変な言い方だけど、お祭りのときの混雑並みだなと思った。通勤より混んでる。そして、それが延々とどこまでも続いているのである。当たり前だが、初めて見る光景だ。

会社で至急されたのだろう、ヘルメットをかぶっている人も結構見かける。非常持ち出し袋をもっている人もいる。そして、やはりプリントした地図の紙を手にする人も多い。
お年寄りなども、歩みがゆっくりだが歩いている。ベビーカーを引いている人、幼いお子さんの手を引いて歩く人、普通に外出していたんだろうけど、着物姿で歩く人。もう様々な人、人、人…。

歩道が混雑しているので、自分のペースでは歩けない。全体の流れにあわせて歩く。意外とゆっくりだ。
この状態で、ほとんど混乱なく、秩序を保ち、流れにあわせて歩けるのは、日本人の性格でもあるんだろうななどと思う。

自転車の人は、道路に被害がなったので、今回は一番早く、楽だったんじゃないかな。最近、首都圏では自転車が見直されているけれど、こんなときは本当によいものだと見ていてうらやましい。
自転車ではないが、なんとキックボードに乗っている人も見た。久しぶりに活躍してるんだろうなぁ。

道の電話ボックスやビルに設置されている公衆電話には、どこも行列ができていた。最近、公衆電話は少なくなっているけど、今回の災害で、少しは見直されるかもしれないなと思う。

街並みを見ると、建物は、外から見るとほとんど被害は見られない。室内は、モノが散乱したりしているかもしれないが、予想してたよりも、意外に被害がすくなかったんだな、よかったと思う。

歩きながら、同僚が、お客様ビルは意外に揺れがすくなかったはず、自分の家は、あんなに耐震じゃないし、きっと激しく揺れて、部屋がきっとグチャグチャになってると心配している。家に帰って片付けが憂鬱だ。
実際に、別の友人宅では、昨年買ったばかりのTVがTV台から落下し、壊れたと聞いた。

途中の道で、サイレンを鳴らした救急車が、大渋滞で身動きがとれず、ほとんど距離を進めていないのを見かける。せっかく救急車来ても、こんな状況、もうどうなっちゃうんだろうと、ちょっと辛い。

途中通った交番では、道を聞いているのか、状況を聞いているのか、地図を見てる人、様子を聞いてる人々の対応で大変そうだ。

松屋や吉野家、ファーストフード店は、外まで大行列だ。コンビニの食料が売り切れたので、次はファーストフードということなんだろう。
しかし、ファーストフードなどは既に閉店してたり、食べ物は売り切れてドリンクメニューだけになっていたお店もあった。

車道は、少し中心部を外れるころには、下り線側は、流れがある状態になっていた。中心部に向かう上りみの道は、相変わらず動きのない大渋滞。

途中で、お互いに気をつけてと言葉を交わし、同僚2人と別れ、ホテルへ向かって引き続き歩く。
それぞれの道に分かれて歩くも、道には変わらず大勢の人。あたりはすっかり暗いが、これだけ人がいると、知らない人たちでもなんだか、心強い。

1時間半ちかく歩いて、やっとホテルに到着した。

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東日本大地震@東京 -帰宅準備-

予断は許さないとはいえ、余震も大きさは落ち着いてきた気がする。避難指示も出ていないので、そのまま仕事を続けている。
しかし、被害情報が錯綜し、交通機関も止まっていることもあり、皆が口々にいろんな情報を話し、ほとんど仕事に集中できない。

定時をすぎるころには、帰宅をどうするか、決断をしなければならなくなった。
交通機関は、まだ全て復旧の見込みなしの状態。
安全面では、頑丈なビルに居た方がいいけれど、家族が心配だったり、水や食料が確保できないことを考えると、家にたどり着いた方が良いと、さまざまな意見がある。それに、お客様のビルなので、本当にまずい状況ではない限り、留まるという選択肢はなさそうだ。
交通機関の復旧を待って粘ることも考えられるが、もし復旧しなければ、そのままどこかで夜を明かすことを覚悟するか。

余震もかなり小さくなってきたこともあり、歩いて帰ることを選択する人が多かった。ただ交通機関の復旧しないかなという期待する人も多い。(結果的には私鉄系は夜に復旧した線もあったがこの時点ではわからない。)
帰ると決めたならば、深夜になることは避けた方がよいし、では何時までにそれを決断するかを、考えなければならない。
自宅まで12キロもあるのに、帰ると早めに決断して、会社を出た人もいた。

都営バスが、運転再開したらしいとの情報が入る。よかったと思うも、この状況ではすぐに乗れるはずもないし、乗れてもギュウ詰め、道も大渋滞が予想され、時間もどれだけかかるかわからない。歩いた方が早いだろう。

私は、翌日は名古屋に戻りたいこともあり、ホテルまで歩いていくことにした。そもそも食料も確保できないので、ホテルに行けばなにかあるかもとの考えもあった。
距離を調べると、徒歩で1時間少し。少し遠いが、土地勘もあるエリアにホテルをとれたので、道順もわかる。大きな幹線道路でほとんど歩いていけるので、ある程度安全だろうとも判断した。

歩いて帰ると決めた人たちは、道順が分からないので、ネットの地図をプリントしていく人も多かった。携帯ナビもあるけど、電池切れなども心配だし、電波がつながらなくなる可能性もあるので、紙を準備するのは賢明だ。

女性の同僚が、こんなことなら、今日、ヒールの靴をはいてこなければよかったという。
確かに。可能なら、歩きやすい靴を置き靴しておく方がよいのかもしれない。
私もこの日は7cmヒール。でも1時間ちょっとなら大丈夫だ。
今回は、道路も安全な状態だったからよかったけれど、足元も悪く、長時間となると、ヒールでは長くはもたない。

私は、この日は一週間分の荷物を詰めた大きなスーツケースを持っていた。これを引いて1時間以上かぁと思うと心が折れそうだったけれど、仕方ない。なるべく手持ちの荷物を減らそうと、スーツケースをあけて、PCなど、重いものを詰め込んだ。

このころ、同じく名古屋から出張してきている同僚と社内チャットで会話すると、ホテルはとっていないという。本社ビルに居るし、きっと東海道線が動くから、それを期待して、しばらく粘るという。ま、確かに本社なら、もし電車が動かなくとも泊まってもかまわないなと思う。

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東日本大地震@東京 -地震発生その後-

ミーティング後、自席に戻ると、みんな仕事を続けている。しかし、地震速報、被害状況、交通機関の情報を共有したりして、落ち着かない。信じられない大津波が東北の太平洋沿岸を襲ったとの話を聞く。
お客様の営業所で、甚大な被害がでているとの話も聞き、非常に心配だ。

社内チャットをミーティング中ステータスから、会話可能ステータスに戻すと、一度に何通ものメッセージが飛んできた。自分の被災状況、窓から見える地震災害の様子など、メッセージをやりとりする。
皆、怖い思いをしている…。
東京の本社ビルでは、壁が剥がれ落ちたと、いくつかのフロアの人から聞いたので、全体的にけっこう被害があったようだ。

地震から、1時間半ほど経ったが、公共交通機関は、やはり全面麻痺しているとのことだった。
ホテルまで歩いて行かなければならない可能性が高い。もう少し近くホテルにしようと、ホテル予約を再検索すると、もう東京23区は、どこも空き室なしの状態。部屋が確保できただけでも、ラッキーだった。

そういえばと、その日帰るつもりで予約していた名古屋行きの新幹線のチケットも、翌日の朝に変更する。復旧はどうなるかわからないけど、とりあえず乗れない、座れないのは避けたいと思い、3/12(土)の朝の指定席を確保した。

こんな状況で、ホテルや、新幹線の予約システムも正常に動いているのは、本当にありがたいことだと思う。また、インターネットで、ニュースや交通機関の情報収集が、簡単にできることのありがたさも身にしみた。
この時点で、docomo携帯はiモードが使えない状態だった。接続規制をしているのか、お待ち下さいの画面がでて使えない。iメール送信はこの時点では使用出来た。しかし、後にiメールは送受信に数時間の遅延があったことがわかった。また、夜にはメール送信さえもできなくなった。ユーザが多いから仕方ないかもしれないけど、全く使えない状態では…。
iPhoneを持っていたので、こちらでネットが使えることを確認する。こちらは、途中、情報収集や、メール確認に非常に役立った。2台持ちがこんな風に役立つとは思っていなかった。

このころ、コンビニに行った同僚が、外の様子を伝えてくれる。
コンビニは、すごい行列が出来ていて、食べ物は、お弁当もパンも、カップラーメンも、もちろん全くなくなっているとのことだった。
また、まわりの道路は、避難なのか、帰宅なのかわからないが、大勢の人が歩いているとのことだった。

地震発生から2時間ほどたったころだろうか、ビルの館内放送で、非常用の水と食料を配給しますとの放送が流れた。
お客様先の配給だから、私たちがいただけるわけではないが、警備員さんの対応といい、非常時の備えが、しっかりしているなぁと感心する。

私は、食料は確保できなかったけれど、飲料だけでもと、ビル内の自販機でペットボトルを調達した。

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東日本大地震@東京 -地震発生-

地震が発生したとき、私はお客様のビルにいて、ちょうどミーティングの合間の時間。小さなミーティングルームに私と同僚の女性2人だった。
最近では、緊急地震速報のエリアメールが携帯に届くということだけど、今回の地震に関して、そんなものはなく、何の前触れなく、大きな揺れが始まった。

いつものように、すぐに揺れが収まると思っていたら、次第に揺れが大きくなり、収まらない。どのぐらい続いたんだろうか、感覚的には待っても待っても、止まらないように感じた。
さすがに、この揺れは、ちょっとヤバイねと、2人して机の下に身を隠す。どのくらいだろうか。ホントに長く続く揺れに、「とまってー」という言葉が思わず口をついてでる。

しばらくして、揺れが落ち着いたものの、今のが前触れなのかもしれないとか言ってるうちに、すぐに、大きな余震が。避難した方がよいのだろうか…。
逃げ遅れるのは、こういうときに、今回もいつもどおり大丈夫だろうという意識が働いて、行動しないからだしなぁとか考える。

お客様のビルは、もともとサーバールームがあったことを聞いていたので、耐震性はあり頑丈だから、大丈夫と同僚に話す。
そうは言うものの、つぎつぎと大きな余震が続くので、東京はどうなっちゃうんだろうと不安がつのる。いつ終わるんだろう、また大きい地震がくるかもと思うと、怖くて、心拍数はかなりあがってたと思う。
余震でさえ、トイレの空き個室のドアが、バタバタと開閉していたぐらいひどい揺れだったと、後で同僚から聞いた。

とにかく、脱出経路を確保しておこうと会議室のドアは、開けたままにすることにした。
廊下に出て様子を見ると、同じフロアの別の会議室からも人々が廊下にでてきて、様子を見ている。
会議室のみのフロアで、研修なども行われていて、外部の人が多くいたので、その時点で、それらは中断となった様子。
ただ、ドアをあけつつも、普通にミーティングを進めている部屋もあり、その冷静さに(良いかどうかは別として)少し驚く。

ほどなく、地震発生のビル館内放送が入る。エレベータの停止を伝えるが、避難するようには言われない。
その5分ほど後だろうか、警備員さんが安否確認のため見回りに来た。避難が必要となったら、また連絡しますからと言い残していった。
確かに、ビルの立ち並ぶ都会では、耐震性の充分なこのビルなら、中に居るほうが安全なんだろう。
ふと窓越しに向かいのビルを見ると、人々がヘルメットをかぶりながらも、席に座って仕事をしていた。

この後も揺れは、頻繁に続く。

男性同僚が様子を見に来て、一旦、プロジェクトルームのあるフロアに移動した。
ネットで、地震情報をみたところ、震源地では震度7と出ている。東京でも震度5強。信じられない規模の地震だ。津波警報も2~3mと出ていると聞く。沖の潮位がこのぐらいなら、沿岸でブレイクする波は、10m並みになる。これも日本では聞いたことのない規模だろう。とにかく警報で逃げる時間があるといいけれども。
被災の詳細は、この時点ではまだニュースになっていないが、きっとこれから大変なことになってくるんだろうと想像に難くなく、そら恐ろしい。

この日は金曜日。私は今、月~金で東京出張のため、この日は名古屋に帰る予定で、朝ホテルをチェックアウトしていた。
この地震では、確実に新幹線は止まる。夜には運転再開するかもしれないが、一応ホテルを確保しておこうと思い立ち、ビルのら最寄のホテルを検索する。しかし満室。
とにかく、宿の確保をしなければと、少し離れた泊まったことのあるホテルを予約する。空いている部屋の値段は高めだけど、そんなことはこの際気にしない。

前後したが、上司に宿泊の了解をとろうと、社内チャットのステータスを確認すると、残念ながらオフラインだったのでメールをした。
とっさに、いつもどおり電話で連絡をとろうと考えてしまったが、繋がるわけもないし、ふと冷静に考えると、緊急性がないので、使わない方がいいと考える。冷静でいるつもりでも、意外に、普段の行動パターンに動きがちだ。

余震(後で地震情報をみたら別の震源地の地震もあったようす)は続いていたけれど、避難放送もなかったので、そのまま次のミーティングに突入した。何度もゆれがきて、落ち着かず、気持ち悪いといいながらも、1時間ほど普通に業務をこなした。

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東日本大地震@東京

まず、今回の地震で被災された方には、心からお見舞い申し上げます。
ニュースを見ていると、本当に、被害の惨状が次々と流れ、いたたまれない気持ちになります。
被災して、まだ救出されていない方もいらして、救助が早く向かってほしいし、救助がくるまで、頑張ってほしいと思います。

地震が起こったとき、私は東京出張で仕事中でした。新橋駅近くのお客様のビル。
幸い、私自身は、怪我などもなく、夜もホテルの部屋を確保でき眠ることができたし、翌日には名古屋に帰ってこられました。
つくづく自分は、ラッキーだったと感じています。
今回の地震は、ほとんど被災したとはいえないにしろ、東京にいて、当事者として、いろんなことを見聞きし、体験し、感じました。

後から振り返って、災害の備えに、何かのヒントにもなるかもしれないし、忘れないために、自分が体験したことを書いておこうと思います。

(だらだらと長文になりすぎて、自分でもびっくりなので、興味ない方は飛ばしてください(^^;)

東日本大地震@東京 -地震発生-

東日本大地震@東京 -地震発生その後

東日本大地震@東京 -帰宅準備-

東日本大地震@東京 -帰宅-

東日本大地震@東京 -地震の夜-

東日本大地震@東京 -名古屋へ-

東日本大地震@東京 -今-

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2011/03/11

大地震(無事です@東京)

いくつか、直接、安否確認の連絡をもらい、ご心配をおかけしてるようです。
順に連絡していますが、とりあえずブログに状況をUPしておこうと思います。

東京出張中に大地震に遭いましたが、怪我もなく無事です。
すごい揺れが長く続き、非常に怖かったですが…。本気で机の下にもぐったのは初めてです。

今日、名古屋に帰るつもりが、帰宅難民になったものの、運良くホテルを確保できました。
最寄のホテルはとれず、東京の交通機関は麻痺状態なので、他の人と同じように、ひたすら1時間歩いてホテルへ。

到着したホテルは、意外に被害が大きく、窓が割れたりした部屋もあるそうで、スタッフにもかなり混乱が見られるし、ロビーは、帰宅できなくなった方々を受け入れて、毛布を配布し、避難所化している状況。

今日だけで、ありえないようないろんなことを経験、見聞きしたと思いながら…。
部屋に入って、TVをつけて、やっとニュース映像をしっかり見たのですが、予想を超える悲惨な状況に、驚いています…。

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2011/03/05

着付け教室(スペシャリスト科 第30回、第31回)

今日は、午前と午後の2レッスン。

午前中は男袴の着付け。
一度は着付けたことがあるけれど、久しぶり。
けど、七五三の男の子の着付と基本的には手順は同じ。一度、先生に説明を受けた後は、なんとなく出来た。
20110305otokobakama01
男性の着付けは、衿の衣紋も抜かなくてよいし、おはしょりもないので楽。ただ、腰紐の位置が女性とは感覚が違うので、腰骨のところで結ぶのを注意しなければならない。
そして、最後に真ん中に作る十文字を綺麗にきっちり作るのが意外に難しい。


午後は女袴の着付け。
大学の卒業式シーズンなので、教室にも、本番用と同じレンタル衣装のセット一式があった。タイミングがよかったというか、本物で練習をすることができた。
普段、教室でいつも使うレンタルの着物は、本当に着付け練習用に常備されているものなので、ところどころ、揃っていなかったり、ほつれてたりするのだけど。。。
本番用はさすがにコーディネートされていて、着付けた姿も可愛らしくて綺麗。
20110305onnabakama01

こうやって同じ形で固定された人形に着付けるだけなら、なんとなくイケるんじゃないの?とか、勘違いしそうだけど、人に着付けるというのは、本当に難しいんだよねぇ・・・。

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2011/03/02

明日から東京出張生活

3月1日から東京の予定だったところ、あまりに急だったので、社内処理が間に合わず。
明日3月3日から。
今度こそ、ほんとに、ほんとに東京です。

ほとんど知る人がいない、新しいプロジェクトへ。
どうなることやら。

たまたま別件で連絡を取りあっていた東京の同僚に、東京へ行くことを伝えたところ、彼らもそれぞれの変化。

ちょうど今月から名古屋のお客様も担当することになったから、連絡しようと思ってたという。しかし、結局、名古屋ではなく、東京で会うことになりそうだ。

はたまた、はるか遠くのXX(おそらく飛行機移動の場所)へ行くことになるかもしれないという人の話も。

社員を落ち着かせない会社だわぁ。

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